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会津彼岸獅子2018の日程は?見どころやアクセス、由来について

春の訪れを感じられる伝統行事は数多くあります。
その1つである福島の会津彼岸獅子をご存知でしょうか。

3体の獅子が笛や太鼓の音色に合わせて古くから伝わっている舞を踊り、街中をめぐる行事です。
その会津彼岸獅子の日程やアクセス方法について紹介します。


会津彼岸獅子2018

会津彼岸獅子は、3体の獅子が舞を披露する伝統行事です。
笛と太鼓の音色に合わせた古式ゆかしい舞を見ながら、豊作と家内安全を祈り、春の訪れを喜び合うのです。

そんな会津彼岸獅子2018の日程を紹介します。

日程 2018年3月20日(火)、21日(水・祝)
時間 10:30〜16:00
場所 鶴ヶ城、阿弥陀寺、ほか市内各所
料金 無料
問い合わせ 会津若松観光物産協会
0242-24-3000

例年開催日は春分の日のみでした。

2018年は少し日程に違いがあります。
戌年150周年を記念する特別な年なので、春分の前日である3月20日(火)にも御薬園で小松獅子保存会の舞の披露があります。

小松獅子保存会の舞引用:https://www.aizukanko.com

アクセス方法

それぞれの会場へのアクセス方法をご紹介します。

【御薬園】
住所 福島県会津若松市花春町8−1
バス まちなか周遊バス「あかべえ」乗車し 「会津若松商工会議所前」下車徒歩5分
まちなか周遊バス「ハイカラさん」 乗車し「御薬園」下車徒歩3分
地図
【鶴ヶ城】
住所 福島県会津若松市追手町1−1
バス まちなか周遊バス「ハイカラさん」か「あかべぇ」に乗車し「鶴ヶ城入口」下車徒歩5分
地図
【阿弥陀寺】
住所 福島県会津若松市七日町4−20
バス まちなか周遊バス「ハイカラさん」か「あかべぇ」に乗車し「阿弥陀寺東」下車徒歩すぐ
地図

彼岸獅子とは?

彼岸獅子とは、福島県会津地方で春彼岸に行われる獅子舞のことです。
「天寧獅子」と呼ばれることもあります。

獅子頭をつけて舞うことから獅子舞と言われているようです。

日本に古来より生息していた獣を獅子と呼び、神は山に住んでいることから山から降りて来る獅子は、神の使いと化身と信じられていました。

神の使いである獅子が捕られることはなく、その姿を真似て踊ることにより神に祈ったものが獅子舞となったのです。
昔は獅子の回りで「花」や「山」といったものを被りながら獅子とともに踊り、獅子は神の使いだと強調して舞っていたそうです。

彼岸獅子引用:https://aizumonogatari.com

会津では春彼岸に踊ることから、彼岸獅子と呼ばれています。

会津の獅子舞は、太夫獅子、雄獅子、雌獅子の3人一組で演じられています。
格好は頭に獅子頭を被り、鳳凰を染めたあわせ着物を着て手甲、小太鼓、両手にバチ、白足袋をするのが一般的です。

種目には三人舞と一人舞があります。
三人舞いは、山下ろし、大切り、袖舞、バチ舞、柴さがし、雌獅子隠しの6つ。
一人舞いは、弊舞、棒舞、弓くぐり、太夫獅子舞、雄獅子舞、雌獅子舞の6つです。

会津彼岸獅子の見どころは5つの演目

 会津彼岸獅子引用:https://aizumonogatari.com

会津彼岸獅子の見どころとしては、5つの演目があります。
3体の獅子が音楽にあわせて舞い踊りながら市内を周るのです。

5つの演目は

  • 庭入り
  • 山おろし
  • 弓舞
  • 幣舞
  • 袖舞

という構成になっています。

庭入りで家内安全を祈願し、弓舞で獅子にとって最も恐ろしい弓へ勇敢に立ち向かう様を表現しています。

掛け声をかける人もいますが、基本的にはひとつの舞が終わるごとにかけます。
もし掛け声をかけたいと思っている人は、周囲の様子をみつつ挑戦してみてください。

最初からしっかり舞を見たいという人は、早めに現地へ行って場所を確保しておくといいでしょう。


まずは「庭入り」です。
3体の獅子が一列に並んで踊るので、迫力があります。
庭入りでは家内安全を祈願しており、太夫獅子、雌獅子、雄獅子が順番に舞い踊ります。


次は「山おろし」
山から獅子が降りて来る姿を表現した踊りです。


そして、獅子の勇敢さを表現した「弓舞」
弓舞は1体の獅子と太夫獅子だけで踊る舞です。

別名「弓くぐり」とも呼ばれていて、獅子にとって恐ろしい弓に勇敢に立ち向かうという姿を表現しています。
だから優美な音楽の中にも、恐ろしいものへ向かっていく緊張感を感じられます。


その後は「幣舞」
雄獅子1体で踊る舞ですが、ひょっとこのお面をかぶった「幣舞小僧」と一緒に向かい合い踊るのが特徴です。

獅子が子供を食べようとするのですが、子供の乗っている鈴と魔除けが怖くてその周りをウロウロとします。
そのように様子を伺っているうちに、一緒になって遊んでしまうというちょっと可愛らしい様子を表しています。


最後は「袖舞」
3体の獅子が「庭入り」のように一列になって踊ります。
この時、衣装の袖を押さえながら踊るので、袖舞と呼ばれるようになりました。

舞の様子は、こちらの動画をご覧ください。
2013年の時のものです。

会津彼岸獅子の歴史や由来

会津彼岸獅子には、そのような歴史があるのでしょうか。
由来や戊辰戦争との繋がりも紹介します。

歴史

会津彼岸獅子は春の彼岸に行われることから、彼岸獅子と呼ばれています。

彼岸獅子がどこから伝わったという確かな歴史はなく、栃木県から伝わったのでは?と言われていますが実際のところは分かっていません。
村には獅子団というものが存在し、彼岸がくると彼らが春を告げるように舞い歩いてきたのです。

現在に伝わるまでは戦争もあり、後継者不足から活動するのが困難な時もあったといいます。
それでも伝えていきたいという強い思いがあったから、現在にまで伝わり伝統行事となっていったのでしょう。

由来

狩猟
獅子舞の由来は古代人の狩猟生活の中にあります

昔は米などはなく獣を捕って生活するために、石槍や石斧、あるいは弓矢を使っていました。
また木の実や貝、海藻など食べれる物はなんでも収集して食べていたのです。

獣が主な食料になるので、獣がいなくなければ次の場所に移動していったといいます。
しかし移動した先で獲物が捕れる保証はなく、食物不足で飢餓死することも少なくなかったそうです。

つまり獣が捕れるか捕れないのは死活問題だったのです。
そこから獣の豊猟と供養とを兼ねたささげる踊りが発生し、その踊りがやがて様々に転じて伝わってきました。

会津彼岸獅子もその1つではないかと言われています。

戊辰戦争との関わりがあった?

会津彼岸獅子引用:https://www.jalan.net
実は、彼岸獅子は戊辰戦争の時に使われていたエピソードがあります。

戊辰戦争時、新政府軍が若松城下に迫り、鶴ヶ城はあえなく包囲されてしまいました。
鶴ヶ城に籠城していた会津藩主・松平容保(かたもり)公は、南の日光口(南会津町田島)の守備に当たっていた、若き家老・山川大蔵に、使者を出したのです。
「兵が少ないのでなるべく戦闘をさけ、城に早く戻ってこい!」と伝えたそうです。

大蔵はただちに鶴ヶ城に戻ろうとするが、新政府軍によって囲まれていて城に入ることができませんでした。
そこで奇策として「彼岸獅子」と共に堂々と行進しようと、勇気ある独身の男を招集させて、平均年齢16歳の「小松獅子団」を結成させたのです。

小松獅子団は新政府軍が包囲している死地に赴いて、楽手を先頭にお囃子を“とひよれよれ(笛の調子の擬音)”と吹き鳴らし、川原橋を占領していた長州藩と大垣藩の南側を、堂々と行進していきました。

その結果、新政府軍は呆然と見送るだけで無事に城に入ることができたのです。
彼岸獅子によって、困難な状況を乗り越えることができたと言われています。

まとめ

会津彼岸獅子は幅広く知られていますが、実際に見てみると違った魅力もあります。

豪快でもあり、繊細さもある獅子の踊りは春の訪れを伝えてくれるイベントです。

2018年の春のお彼岸は伝統的な踊りと音楽を合わせた会津彼岸獅子を堪能していただければと思います。

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